指導者は役者である

学生から指導者に変わるとき、指導者とはいかなる者かを考えさせられました。
年が若ければ若いほど、生徒の気持ちに共感でき、指導していてかわいそうだな、と思う場面があります。
こんなにきびしくしなくても、そこまでしなくても…
そういった思いと、私は日々向かい合わなければなりません。

生徒の言い分を理解してやることで妥協につながってしまう場面があり、許してしまうと生徒だけでなく、自分もどんどん妥協してしまいます。

指導者は責任がある。

生徒の夢をかなえてあげたい、少しでも成長させてあげたい。

個人差はあるけれど、妥協せずに取り組むことで、将来、自分の財産にしてほしい。

だから、自分の本来の姿のままで向き合うわけにはいかない。

指導者に成り立てのころ、心に決めて、生徒に会いました。

厳しく、つらく突き放した時、本当に申し訳なく思っていました。

でも、卒業しても後輩たちの応援をしてくれている、また、会場に駆け付けてくれている生徒達をみて、本当に出会いに感謝しています。

幼いときほど、何でもあり、何でも自由はあってはならない。

指導者は、大人として子供を成長させる使命があると思っています。